差し入れ (食べ物エッセイ『くいいじ』より)

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Kuiiji_P061

仕事柄差し入れと言うものをよく頂戴する。
 時間に余裕のある時は近所のスーパーやパン屋さん等に買い出しに行ったり、簡単なおかずを作ったりしてなんとなく食事を賄っているのだけど、それが段々デリバリになり、最終的にはコンビニになり、もっと最終的にはそこらに置いてある物を何でもいいから口に放り込んで仕事をすると言う事になる。
 そんな時大抵そこらに置いてある物と言うのは編集さんの持って来た差し入れだ。編集者と言う仕事は実に様々な要素が有り才能も必要とされるのだけれど、その中でも無くていい様で実は重要なのが差し入れのセンスだ、と私は思う。
 漫画家同士で○○社の人が一番最初に持って来たのが××の菓子折だった。なんて話になると「会社の近所の店ので済ましたな。ダメだそいつ」などと言う恐ろしい会話が交わされたりする。
 女性作家への差し入れが一番気を使う、とある編集者はもらしていたが、実際新しいお店や話題のお菓子があればいち早く足を運ぶような人達への差し入れは確かに難しい。
 昔担当だった男性編集者は地味な印象で、パッと見そんな風には見えないのに女性漫画家キラーで有名であった。
 私は全く殺されなかったしおそらくターゲットにもなっていなかったに違いないのだけれど、差し入れのセンスが素晴らしくて、なる程…と思った記憶がある。美しいビンに入った果物のシロップ漬けや、そのまま植木鉢に使えそうな白い陶器に入った色とりどりのマカロン等、女心をくすぐる差し入れをサクサク持って来るのである。
 今相手がどんな精神状態か(追い詰められています…)。何があったら喜んでくれて元気になるのか。そう言った事に気候やら季節やらを配慮して、遠かろうと乗り換えが面倒だろうと買いに行く。更に優秀な人だとそれを何かの用事や仕事のついでにちょっと足を延ばしてサラッとやってしまったりする。
 差し入れのセンスは恋愛のセンスに通じるところが有るような気がする。
 総じて女性編集者の方が気がきいているのだけれど、初めて男性誌で仕事をした時の女性の担当者は、それまでずっと男性作家の担当ばかりしていたせいで、初めの頃はいつも肉物を大量に買ってしまい「そうだ…ここは女の子ばっかりだった~」と失敗に嘆いていた。
 彼女は差し入れ力の高い人で、後年ウチの仕事場に慣れてからは皆の心を鷲摑みにする様な差し入れクイーンへと変貌をとげたが、男性作家用にカスタムされていた差し入れセンスで買って来た物はトンカツやヒレカツが入ったパックを十ケとか、子供の頭二つ分ぐらいも有るチャーシューとか、とにかく肉オンリーしかも大量と言うのが多かった。
 今連載している雑誌の担当も男性で、男性作家の担当が当然多いのだけれど、この人もかなり肉しか買って来ない。
 夜中にお腹が空いたと叫ぶ私達の為に夜の街へ飛び出して行ったが、小一時間程してから帰って来た彼の両手のビニール袋からは、焼き鳥のパックと餃子の巨大なパック、ハムのスライスが出て来た。
「酒のつまみかよ!!!」
「野菜が食べたい!!」
 と怒り出す女子達の前に
「これ…野菜…」
 と差し出されたのは「にんにくスタミナ漬け」と言う漬物の袋がひとつであった。
 それ以来彼の買物には細かい指定が入る様になった。
 もう全く差し入れのセンスが無いのである。
 スターバックスのコーヒーを一度頼んで買って来てもらった事がある。
 その時は皆コーヒーが飲みたくて死にそうになって居たけどいれる時間も気力も無かったので、今迄になく大歓声で迎えられた。
 嬉しかったのだろう。次の日も又次の日も、来る日も来る日もスターバックスから電話をかけて来る。注文が難しくて覚えられないのだ。カフェモカのショット追加が。
 それである日スタバはもういい!! と言う話になった。
 そんな差し入れ能力の低い彼を何とか開発しようと苦心していたある日、すきやき用の肉を買って来てくれと頼むことになった。
 頼んでから心配になった。ちゃんと美味しいの選べるかしら。東急の下で買え、とか指定を出すべきでは無かったか。
 殆ど「はじめてのおつかい」の気分で待っていたら神妙な顔をして肉の包みを持った彼が現れた。
 食べてびっくり、ものすごく美味しい。その後何度も頼んだ結果、肉に関してだけ高い能力を発揮する事が判明したのである。
 しかし肉に関してだけ異様に感度の良い彼の才能は、他の差し入れに発展する事はついに無かった。
 と言う理由だからでは決して無いが、彼はこの秋長年務めた私の担当を外れる事になった。淋しいので肉が食べたくなったら電話をしようと思って居る。

・食べ物エッセイ『くいいじ』<文藝春秋>より
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