砂糖(食べ物エッセイ『くいいじ』より)

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くいいじ12砂糖

 

友人が家に遊びに来てコーヒーに砂糖を入れたいと言い出した。
普段飲み物に砂糖を使う事が無いので、うっかりしていた。台所をひっくり返し調味料の棚のスミズミまで探したが一粒も見つからない。
「この家には砂糖が無い!!」
と、驚かれた。
そう言えば砂糖なしで今までどうやって来たんだっけ?と考えてみると、和風の煮物や料理のてりを出すのにはみりんを使っていた。
みりんを入れるとこっくりとした甘さが程良く付くので使うのだけど、それにしても使用頻度は低く、賞味期限内に使い切れた事は無いのだった。
カレーや洋風の料理の時はジャムやチョコレートを使う事が多い。
コクが出ない時にあんずのジャムを入れるとカレーの味がぐっと濃くなるし、クミンの入ったママレードは肉料理に使ったりそのままチーズと食べたりするので欠かす事は出来ない。
その他の甘味は蜂蜜を使うので砂糖の必要が無いのであった。
あ、でもお正月の煮豆だけは別でこればかりは砂糖でないといけない。
一度やっぱり砂糖が見当たらず、ジャムを使って煮てみた事が有ったけどかなり微妙な味になってしまった。
ひと口食べて「まず!!」と言う程のまずさでは無いので、もうひと口食べてみようかなと思い、そっと口に運ぶ。
やっぱり美味しくはない。
でももう一回食べてみたらまた違った風味に…って何回食べてみてもやっぱ美味しくない。
正直失敗だった。ジャムのゼラチンぽさが豆をコーティングしてしまい全く味が染みてないので中はパサパサしているのである。
人に食べさせるわけにもいかないので一人でもそもそ食べた。
そうしたら食べているウチに美味しいような気がして来た!! 美味しいんじゃない? コレ…
と、まあよく失敗した時におちいる錯覚にその時もおちいったのではあるが、それ以来煮豆の時は砂糖を買って来る。
大体和三盆を使うんだけれど、これが高くて量も少い。豆を少し多めに煮れば大抵一回で使い切ってしまうのだ。
和菓子屋でも無いのにもったい無い、と思うのだけど、私が豆を甘く煮るなんて年に一度か二度くらいなのでその時だけと思っての贅沢である。
そしてその時使い切ると又砂糖の補充を忘れてしまい、「砂糖の無い家」に戻ってしまうのだった。

子供の頃の砂糖の想い出はいくつか有る。
おじいちゃん子だった私は幼稚園に上がる前はずっと祖父と生活を共にしていて、日課は毎朝の散歩。
帰って来ると濃い日本茶と共に、白い砂糖を載せた小皿と梅干しが出てくる。梅干しは大きくてものすごく酸っぱくて紫蘇がからまっているのだけど、それに砂糖をまぶしては少しずつ食べるのだ。
そうしてお茶を飲む。
祖父と二人で居間のテレビ(時代劇アワー)を観る時間は梅干しに砂糖を付けたやつを食べる時間でもあった。
私はそれが好きで、ねだっては違う時間に食べてみたり、一人の時こっそりやってみたりするのだけど何故だか祖父と一緒の時でないと美味しくない。
きっとこのメニューは「梅干し」と「砂糖」の他に「老人」があって完成するものだったのだと最近になって思う。
もう少し大きくなってからは、ジュースの記憶がある。
家ではいつもジュースと言う物を飲ませてくれず、たま~に缶のポンジュースか三ツ矢サイダーと決まっていて、それも本当に特別な時だけ。
子供の時はどうしてあんなにジュースを飲みたがったのかわからない。甘い物は苦手なくせにとにかくジュースは欲しいのである。妹と私があんまりジュースジュースとさわぐと、父が真剣な顔をして
「これは特別なマボロシのジュースで、チチカカジュースと言う飲み物だ」
と、透明の液体が入ったコップを持って現れる。
見るからに水だが、飲んでみると甘いのである。
最初に飲んだ時は小さかったので「わぁおいしい!!」と大喜びしたけれど、段々時が経つにつれて単なる砂糖水だと言うことがわかってしまった。
わかってみると途端になんだかつまらない物になってしまい、父が嬉しそうに
「チチカカジュースだぞ~」
と、持って来ても「ハイハイ」と冷めた反応をする様になってしまった。
砂糖と言う物は不思議な食べ物だと思う。一緒に有る物や状況、その時の風景によって味が変わり、その魅力も変化する。
今度からコーヒーに砂糖を所望されたら家中を探してもらい、あらかじめ隠しておいた砂糖をやっとの思いで見つけてもらう。そうして飲めばきっとコーヒーの味も格別だと思うがどうだろう。

・食べ物エッセイ『くいいじ』<文藝春秋>より o_1692016100000000000v_h1024

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