冷やしたぬきとかりんとう(食べ物エッセイ『くいいじ』より)

 1-1冷やしたぬきとかりんとう

昼食を食べている時に、建具屋さんがやって来た。
家の窓やら扉などでいくつか閉まりづらいものが有ったので直してもらったのだ。
二階の網戸を調整して、一階に降りて来た建具屋さんが、どことどこの調子がおかしかったけど、こんな風に直しておいたので大丈夫になりましたよ、と話している間、お箸を止めてふんふんと聞いていた。
夫は立ち上がって玄関口で他にもある不具合の説明をしていたが、私はまた食事にとりかかっていた。
「じゃ、奥さん、またどうも」
と、建具屋さんがこっちに首を出して挨拶した時、丁度お味噌汁の底のじゃがいもをお箸でちょんと口に放り込んだところだった。

昨日観ていた昔の映画では、バーのホステスさん達が開店前に冷やしたぬきか何かをかっこんでいるのだけれど、二口、三口食べたところで客がドヤドヤやって来る。するとホステスさん達は、いそいでその食べ始めたばかりの丼を流しに置き、くるりとふり返って
「あーら、たーさんいらっしゃい♡」などといきなり接客していた。
こういうシーンを観る度に、あの冷やしたぬきはあの後どうなったんだろう…と考えてしまう。
あと、自分の喰い意地よりもお客を優先っていう…当然と言えば当然だけど、
あの女性達の食べ物に対する執着の薄さにも憧れる。
なぜか。
私ならきっと「店は六時からだよ!!」と言いながら客を追い出して、
冷やしたぬきを堪能するに違いないから。
まあ、そんな事じゃ客商売は務まらないし、だからという訳でも無いけど漫画家です。

じゃあ、漫画家は皆喰い意地が張っているのか、といえばそんな事も無い。
少女誌からアシスタントに来た新人少女漫画家さんなどは、小鳥のように少食で、徹夜中に私や他のアシスタントさん達がおにぎりを踊り食いしている横で、小さい小さいカップのアイスクリームをちょっとずつほじっては食べていた。
「そんなので足りるの?! サンドイッチとかカップ麵も有るよ!!」と大声で勧めると、
食べかけのアイスクリームのカップにフタを閉め「もうお腹いっぱいで…」と答えていた。
きっとバナナも半分しか食べられないんじゃないかと心配したが、彼女はその少い燃料で皆と同じように働いて、同じように眠らなかった。
何日か後に、半分だけ食べて冷凍庫にしまってあったアイスを見て、なんだかリスを思い出した。
そして夜中に大声であれも食え、これも食えと勧めていた私は食堂のオバさんみたいだったかも知れないと思った。
自分の喰い意地が張っているからといって、他人もそうだと思ったら大間違いだ。
しかし私は、この「くいいじ」というタイトルを担当編集者から提示される迄、自分の喰い意地が他人から見てもわかる程に張っているという自覚が無かった。
他人に言われて初めて気付いた上に、連載の題名になるくらい自分の特性を表したものだったとは知らなんだ。恥ずかしながら、そう言われて考えてみると、今日の建具屋さんの件もそうだし思い当たる事はいくつも有る。

未だに親戚の集まりなどで語られる定番エピソードに、小さい頃私がかりんとうをモリモリ食べながら
「おばちゃん、これうんこ?」と聞いたというダイナミックな話がある。
その時おばちゃんは「うんこと思うなら食べるなよ!!」と思ったという。
うんこかも知れない…と思いながらも食べていた、と言うのがこの話のキモなのだが、たとえ食べてはいけないとされている物でも、美味しかったら食べてしまう性質がここにうかがえる。決して美食家では無いのだけれど、執着心とでも言うのだろうか。
私の子供時代のエピソードは食べ物ネタばかりで泣けてくる。
「おやつをくれろとうるさいのでキャベツを丸ごと与えたら、抱きついて延々とかじっていた」
というのもある。
「伝い歩きができる様になった瞬間、戸棚のガラス戸の中に隠してあったみかんを発見して食べた」
など、枚挙にいとまが無い。
こうして考えてみると、もしかしてすごく良いタイトルに巡り合えたのかも知れないとは思う。どこか釈然としないのだけれど…。

食べ物エッセイ『くいいじ』<文藝春秋>より

1-1冷やしたぬきとかりんとう2

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