エア料理(食べ物エッセイ『くいいじ』より)

久しぶりに上の方の戸棚を開けてみた。
ここのところ片付けに凝っているので不用品をチェックしようと覗き込む。
お茶や缶詰の中でひときわ大きな箱がかなりのスペースをとっているのに気が付いた。
未使用のままに放置していたパスタマシンである。
家に有る事すら忘れていたので驚いた。
箱を手にすると買った時の事が記憶の底からよみがえった。
記憶の底とか言っているがたかだか半年前の事だ。忘れるにも程がある。
絶食して体内を浄化するダイエットをやっていた時に、あまりにもお腹が空いた為に毎日食べ物の本ばかり見て居た。
写真を見ていると、いくらでも想像力が働いて材料の色や香りまで浮かんで来る。
作り方の頁を読めば混ぜる時のしゃもじの感触やフライパンで炒める時の「ジャーッ」と言う音まで聞こえて来る。
その頃の私は想像だけでいろんな料理を作っては食べていたのである。
そして鍛練を積むうちに難易度の高い料理に挑む様になって行った。
そこにギターが無いのに音楽に合わせ、あたかも弾いている様に見せる「エアギター」と言うのが有るが、この場合「エア料理」である。
脳内でシミュレーションをする「バーチャル料理」より一歩踏み込んで、台所で本を片手に手順通り動いてみたり、冷蔵庫の調味料を確認しては喜んでいた。
今思い返すと背筋が凍るがその時は本当に真剣だった(だから余計に怖い)。
ある時真剣に、エア料理で「手長海老のパスタ」を作ろうとしてレシピを見ると、何度読んでも「レモン味のパスタを作っておく」と書いてある。
レモン味の付いたパスタでは無く、パスタ生地にレモンが練り込んで有るものだと気付く迄少し時間がかかったが、気付いた途端さっそくネットで検索した。手打ちパスタを作る気だ。
何種類かのパスタマシンの性能を調べ、使った人達の感想もいちいち読んでみて「これだ」と思う物にした。
電動のは機能的だが大きいし、大体プロの人達が使う様な代物である。
私には手動の小さな物で充分。
間もなく、木の取っ手が付いた素朴なパスタマシンが配達されて家にやって来た。
私は生地も無いのに取っ手をぐるぐる回したり、出て来たパスタを両手に載せる動きなどをしてエア料理に励んだ。
想像の世界では、かなりの達人になっている。
後はもうその腕を実際にふるえる日を待つばかりであった。

しかし食事制限が解かれ元の食生活に戻ってみれば、あんなに情熱を傾けて居た架空の世界は遠い日の出来事となった。
日々普通にいつもの料理をするのみである。
それどころか〆切にかこつけて料理自体から遠ざかる始末。
更にデリバリが続くようになり
「手作りのものが食べたい…」
と誰に言うでも無くその場に居る全員に聞こえるようにつぶやくと言う有様だ。
いつも料理を作ってくれる担当Sも忙しいのか最近はなかなかそんな時間も無いみたいだし…と考えて居たら、Sと同じくらいの年の青年Nがパスタを作ってくれると言う。
なんでもSと二人で食事をしていて料理の話になった時に
「どこの店のパスタより、俺が作った浅蜊のパスタとキャベツとアンチョビのパスタが最高に美味しい」
と、Nが言い出したのでSが
「じゃあ今度安野さんのとこで作ってみてよ」
と言う話になったそうだ。
どこの店のよりも、と言う言葉に対してプロ級の腕を持つSの意見は
「Nは舌か頭のどっちかがおかしいに違いない」
と冷淡である。
その話を聞いて私は心配になった。
もしやエア料理界での話ではあるまいか…。
頭の中で達人となっていても、実際リングに上がればパンチのひとつも繰り出せ無いと言うのはどこの世界でもある話なのだ。
しかしNは緊張のあまり叫んだりもしながら、ついにパスタと言うリングに上がった。
今までろくに包丁も握った事の無い上に料理を始めて二ヶ月で、他人の家の台所に立つと言うのは相当なプレッシャーだ。
しかも口うるさい女四人と、料理に関しては自信のあるSがお客として控えているのである。
手伝う、と言うウチのスタッフを一人で出来るもんと断って、世界一美味しいと言う彼のパスタは完成した。
その勇気と努力に惜しみない拍手を送り、私達はテーブルに着いた。
浅蜊の入ったそのパスタをいただいてみると普通に美味しいではないか。
しかしそれはあくまで「普通に」の範囲であった。
自分で作った料理は美味しい、と言う事をいろんな意味で知ったNには更なる躍進を期待して件のパスタマシンを贈呈したいと思って居る。
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食べ物エッセイ『くいいじ』<文藝春秋>より

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