食べたい物(食べ物エッセイ『くいいじ』より)

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春になって一番楽しい時は山が少しずつ色を変えて行く時だ。
日に日に暖かくなって行く、その内のほんの三日か四日で山の色がみるみる変化する。
冬の山は濃い緑と、薄いカフェオレの様な鳶色で出来ている。
それが三月の末頃から早めの新芽が少しずつ少しずつ増えて行って、山全体の輪郭がぼんわりと霞がかって見えるようになる。
様々な種類の木が生えている山は、その種類の数だけ緑のバリエーションが有る。
ほんのり黄色い芽、若々しい明るい緑、そうして葉先が赤い芽も有る。
そこに山桜や桃の花が加わると、山の色は彩りも増す。
これだけの色数がひとつの所に存在しながらも調和が取れているのは全てが薄い、淡い色調で、日本の風土特有の少し灰色がかった色味だからだろうと思う。
その和菓子のようなフワフワとした春のお山を見ていると思わず
「おいしそうだな」
と、つぶやいてしまう。
春のお山は美味しいんじゃないか、と思うのだ。
イメージとしてはウエハースのようにあまり厚さの無い、サリッとした歯ごたえの干菓子。指でそっとつままないとすぐくだけてしまう程繊細なそのお菓子をハリハリと口唇で割る様にして食べれば、口の中で桜の風味と思われる薄い甘さが拡がるのだ。
控え目な新緑は少し苦味があって、その味よりも嚙んだ時の歯応えやツブツブした舌触りを楽しむ。
東京へ向かう車の中ではずっとそんな事を考えて居る。
そのうち本当に具体的に食べるには…と言う方向に考えが行き始めると
「身長が百メートルくらいで…いや?それじゃ山を食べるには小さいのか?」
「しかしそれ以上大きいとなると座る場所が困るなー」
等無意味に現実的になって来るので、そこら辺で味覚の旅(妄想編)は終了する。

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もうひとつずっと食べたい物が有る。
それはトロトロに熟している(としか思えない)太陽である。
朝日よりは夕陽の方がなんとなく美味しそうなのだが、とにかく濃厚なトロッとした舌触りはありありと想像できる。
そして温度は、とびきり熱い状態だったものをしばらく置いておいて冷ましたような深い温かさで、でもやけどはしないと言う絶妙な温度だ。
半熟卵の黄身のようでもう少し粘度が有るその太陽(夕陽)は当然スプーンでいただく。
大ぶりのスプーンに載せた太陽はひと口で食べるのがもったい無い様だが、ちまちま切って食べると崩れてしまう。
口の中で崩れるのが正しい食べ方なのだ。
飲み込む様にして口に含むとじんわりと熱が伝わって、その次に薄いまくの様な表皮がプチュンと割れる。
口中に拡がるのは例えて言うなら杏の濃厚なピュレだろうか。
でも太陽はもっと多くの要素が有る味かも知れない。
甘さの中に丸みのある酸味と微かな辛み、そこに卵の黄身がコックリと混ざって一体化したような味、をイメージする。
そう言えば「卵の黄身」とは言葉で表現するのなら何味なのだろうか。
甘くも無いし辛くも酸っぱくも、当然苦くも無い。「うま味」と言う分類なのだろうか。
それも違う気がする。

もうひとつ、と書いたけど太陽の他にまだ食べたい物が有るのに今気付いた。
夜の電車に乗って通り過ぎる時の遠い光。
家々の窓やビルの窓の明かりでは無くて、高速道路や線路に並ぶ冷たい光である。
あの光は是非とも冬に食べたい。
冬の夜の凍える空気の中にきらめく鋭い光。
細い銀のピンでチュンチュンと刺しては口に入れる。
ピンを持つ指の先も冷たくなる程に凍った光の味は、何億年もかけてさらされた白い砂の様にサラサラとしている。最初の感触は乾燥しているのだ。例えるならフリーズドライだろうか。しかし不思議な事には舌の上では溢れんばかりの水分に変わって喉に流れて行く。
飲み込む時も胸のあたりがスウとして「シャラシャラ」と言う音がする。
食べた後は自分の口の中からひんやりとした香気が立ちのぼり、うっとりするのである。

夕陽を見ても夜景を見ても春の山を見ても、食べる事しか考えてないのかと言う話だが、風景をその様にして楽しむのも味わい深いものなのだ。
暖かくなって来たので、食べられる景色の少い都市部を抜け出して美味なる景観を求める旅に出るのも良いかも知れない。

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食べ物エッセイ『くいいじ』<文藝春秋>より

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