紫蘇(食べ物エッセイ『くいいじ』より)

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去年、今の家に引っ越してまだ二ヶ月も経っていなかった頃だと思う。
生まれて初めて庭のある家に住んだので、嬉しくて毎日庭を歩き回っていた。
と言ってもたいした広さが有る訳では無い。
一階の居間から見える小さな庭は、つつじや椿が一本あればもうそれ以上何かを植える余地も無い。
それでも縁側を降りたところは小さなスペースが有るので、水仙を植えようと楽しみにしていた。
そのくせ友人が訪ねて来ると毎回
「これで紫蘇が生えて来たら便利なのになー」
などと言っていた。
本当は山椒を植えようと思ったのだけれど虫がつく、と植木屋さんに言われてあきらめていたのだ。
そんなある日、雨戸を開けてふと下を見ると馴染み深いギザギザの葉が芽生えているのを見つけた。
縁側のすぐ下、窓辺にしゃがみ込めばすぐ手が届く場所に、すくっと生えているのは青紫蘇であった。
私はびっくりしてその後大喜びした。
青紫蘇が欲しいと思っていたら、手頃な場所に突然自生してくれたのだ。
お庭の植物達が私の話を聞いて引っ越し祝いにプレゼントしてくれたのかも知れない…大きな声でお礼を言ってしまった(庭に)。

しかしすぐに収穫する訳にはいかない。
まだまだ小さな葉が幾枚かついてるだけで、料理に使うには足りないのだ。
何日か待ってから使うことにしようと、毎朝その成長の度合いを観察する事に夢中になった。
そのうち段々と大きくなったので、いよいよ食べる事にして一番大きい葉を三、四枚ちぎってみた。
ちぎっただけで強い紫蘇の香りが辺りにぱっと拡がる。
ものの本によればこの強い香りは紫蘇の油分が放つものらしい。
香りだけではなく強力な防腐力も有り、二十グラムで百八十リットルの醬油を防腐できると言う。
かと言って醬油に漬け込んだりするものか、今すぐ食べるんだいとばかりに軽く水洗いをして細く切って御飯に載せていただいた。
塩を少しふって、千切りの紫蘇。
もうそれだけで何もいらない程美味しい。
ビバ紫蘇!!
もとから大好きな上に無農薬で取れたてなのだ。もう最高である。
それからは毎日の様に、大きくなった葉を取って来ては玉子焼きに入れたり味噌汁に入れたり和え物にしたりした。
素麵の時などは山程取って来て思う存分使った。
下手すると麵と同じ量くらいは食べたかも知れない。
八百屋さんやスーパーで買うと綺麗にそろった紫蘇のひと束は十枚で百円くらいする。
ちょこっと使うだけでも充分香りは楽しめるから、使うと言ってもそんなにごっそり使った事が無かった。
しかし庭の紫蘇は、取っても取っても補充されるのである。
補充されるだけではない。二、三日使わないでいると巨大な葉がゴワッと茂り下の陰になった所の葉に虫がつく。
人間が食べても美味しい紫蘇は虫にとっても美味しいらしい。
夏が来る頃には庭の虫達の大人気スポットとなっていた。
巨大になりすぎた葉の下で、まだやわらかい葉はどんどん喰い荒らされてレースの様なことになっている。
巨大化した葉をつみ取ってはみるがもう堅くなってしまって、お皿の上に敷くぐらいしか使えない。
盛夏の、紫蘇が食べたい盛りの頃にはなんだかもう手が付けられない程に株が大きくはなったものの葉っぱは半分食べられているし、なんとも荒くれた感じになってしまっていた。
フレッシュな新入生が夏休み明けにちょっと悪くなっているのによく似ている。
それもこれも自分がちゃんとお手入れもせず、食べたいだけ食べていたせいなのである。
秋になり、しおれて枯れて行くままに放置してしまった淋しげな紫蘇を見て何とも言えない気持ちになった。
来年はきっと毎日手入れする。適度な収穫を心掛ける。
農薬をまく訳にはいかないけれどよく探して虫を捕まえるようにする。
そんな事を夕暮れの縁側にたたずみながらそっと心の中で紫蘇に誓ってみたのだった。

そうしてまた五月になり、紫蘇が生えて来たのは確か去年の今頃だったんじゃないかと、毎日庭を見ているのだけどまだ様子は無い。
自然にこぼれ落ちた種があったろう場所にはうっかり水仙を植えてしまった。
あんなに喜びをくれたのに大切にしなかったため失ってしまい、それ以来二度と芽を出す事は無かった…なんて事になると日本昔ばなしみたいで哀しい。
今年もまたあの紫蘇に出会えるよう祈るばかりである。

紫蘇

食べ物エッセイ『くいいじ』<文藝春秋>より

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