オチビサンフィギュアは、あのヱヴァンゲリヲンも手掛けた原型師が作ったものでした!その制作秘話とは?(番外編)
来春の公開を目指してプロジェクトが進行中の「オチビサン」のストップモーション(コマ撮り)アニメ。せっかくならば多少コストを度外視しても、面白くて質の高いものを作りたい!との思いから、今回制作費の一部をファンの皆さんに出資していただく「クラウドファンディング」という方法をとらせていただき、見事に目標を達成いたしました!
ところでこのファンディングの「お返し」の品の中に、オチビサン、ナゼニ、パンくい、ジャックのフィギュアがあることはご存じですか?とってもかわいいこのフィギュアたち、実はあのヱヴァンゲリヲン新劇場版の3DCGも手掛けた、原型師の小林和史さんが一体一体手作りされた大変貴重なものなんです!
そこでスタッフは小林さんに直接お会いして、フィギュアの制作秘話や原型師というお仕事について伺ってきました。
模型専門誌のライターからゴジラの特撮、ヱヴァンゲリヲンのCGまで
――話は変わりますが、原型師のお仕事って、一般的にはあまりどんなものか知られていないように思いますが、小林さんはどういった経緯で原型師になられたんですか。
僕は三重県の出身なんですが、高校卒業後に上京して、まず工業デザイン科というのがある専門学校に入りました。そこに在籍中から、子供の頃からずっと好きだった「ホビージャパン」という模型専門誌でライターの仕事を始めました。文章を書いて、新製品のガンプラが出たらその作例も作るっていう仕事です。専門学校を卒業後もしばらくはアルバイトをしながらライターもしていましたが、それだけで生活していくのは無理だったので、ゴジラの特撮用の戦車やミニチュアを作っている会社に就職しました。まだその頃は毎年夏になるとゴジラの映画があった時代です。そこには5、6年くらいいたのですが、在籍した最後の年辺りで、業界的にはミニチュアの特撮からだんだんCGで映像を作る仕事に移り変わっていくんだな…と感じ始めていました。そんなときに、たまたまCGの映像をいっしょにやらないかと声をかけてくれた人がいて。じゃあやってみようという感じでCGに転向していきました。
(写真は今小林さんが手がけられているプロジェクト・メカトロウィーゴ)
しばらく在籍したCG会社が閉鎖される事になり、そこを出た後はガチャガチャとかの原型を作っている人にやってみませんか?と誘われて、2000年くらいから本格的に商業原型をやるようになりました。またCG映像の方も、それまで仕事で知り合った人たちに仕事をもらったりしていて、そこからはもうフリーランスのようなかたちで働くようになりました。そんなときにヱヴァンゲリヲンのCGディレクターの方が、僕のCGモデリングのスキルを買ってくれて、「序」のときに声をかけていただきました。
でもほんと僕が専門学校行ってたときには、まだこういうガチャガチャとかのフリーの原型師ってほとんどいなかったんですよ。だから僕はプラモデルとか好きで作ってたけど、それで食べていけるとかは一切思ってなかったです。やっぱり海洋堂さんがチョコエッグで食玩ブームを作った頃くらいから、やっと原型師でも食べていけるようになってきたんだと思います。
――え、そうなんですか?ガンプラが流行っていた時代にもいなかったんでしょうか。
プラモデルはバンダイやタカラといったメーカーが作るものだったから、もしガンダムなどのおもちゃを作りたいっていうのであれば、メーカーに勤めるしかなかったと思います。でも食玩がブームになってから、メーカーが原型をつくるのが追いつかなくなって、フリーで模型の上手い人にも仕事を振るようになったんだと思うんですよ。それで僕たちもフリーのままメーカーの仕事を頂けるようになったという。
――ちょうどうまい具合に小林さんのやっていたことが時代に合っていたという感じですね。
そうなんです。特撮がデジタルに移り変わるときにも、僕はうまくその波に乗れて。で、商業原型も手原型からCGと3Dプリンターを使った原型制作が可能になるころに、僕はもうCGソフトを使っていたので対応出来た。運よく(笑)。ほんとたまたまなんですけど。オチビサンもたまたまエヴァの仕事の過程で作ってたから、今回このお話をいただけて。
――何だかご縁を感じますね。オチビサンのフィギュアができるまでに、こんなにたくさんのストーリーが詰まっていたとは驚きです。今日は興味深いお話をたくさんしていただき、本当にありがとうございました!
(構成・東本由紀子)