黒豆(食べ物エッセイ『くいいじ』より) | MOYOCO ANNO

黒豆(食べ物エッセイ『くいいじ』より)

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年末は三十日まで仕事をしていた。
おかげでお正月の準備などと言うものは全くと言っていい程何もしていないままに大晦日を迎える事になった。
さすがに卵ひとつも無い冷蔵庫で三が日を迎えるのは心もとないので仕事の合間をぬって買物をしたのだけれど、どうも頭が料理のスイッチにうまく切り替わらずに、よくわからない買物をしてしまった。
里芋と海老芋を四個ずつ、とか。
似たような物を二種類買ってどうするつもりなのか。
あとは京人参と長葱、切り餅とブロッコリーなどで、お正月らしき食品はごぼうと丹波黒豆くらいな物だった。
ウチは夫が菜食なので毎年のおせちは野菜ものと豆だけなのである。
黒豆を煮てたたきごぼうを作り、あとはなますとだし巻玉子…。
そんなこぢんまりとしたおせちに里芋の煮物や椎茸と高野豆腐の炊き合わせと言った普通のおかずで大体済ませてしまう。
一日二日は家でのんびりして三日にはお客が来て新年会をするのが通例なのだけれど、今年は年末に不幸が有ったので、それも身内だけでひっそりとする事にした。
大晦日は一年の疲れが出たのか十五時間くらい眠ってしまい、やっと起きてもまだ眠い。
どうにか起き上がって食料の買い出しに出たのはもう夕方であった。
それでも家を建ててくれた施工会社の社長さんがダンボール一杯の野菜を届けてくれたので当面野菜の心配は無い。
むしろ全部使い切れるかどうかが心配なくらいなので買い出しと言っても卵と豆腐くらいを買えば良い。
とっぷり日が暮れた中をブラブラ帰って来ると近所のお寺の鐘が鳴った。
六時の鐘だ。
薪ストーブの火にあたりながら、しみじみと今年一年を思い返す静かな大晦日。
あまりにもバタバタしていて忘年会と言うものにひとつも行けなかった年末が噓のようにしんとした夜。
本来ならこの時点でおせちを作り終え、後は年越蕎麦を食べてお正月はゆっくり…と言うのが正しいのだろうけれどとてもそんな気力は無い。
せめて黒豆だけでも…と思って準備をしかけたが、「鉄たまご」を東京の仕事場に置いたままだった事を思い出していっきにやる気を失った。
毎年黒豆を煮る度に色が抜けて赤茶色になってしまうので、松島に行った時「今年の暮れはコレでまっ黒な黒豆を煮るんだい♡」と買ったのに…。バカ!! あたしのバカ!!
おせちは年が明けてから道楽として作ることに決め、早くもお酒を飲む事にした。
黒豆を煮れない事が哀しくてヤケ酒をしたのである。
しばらく飲むと又眠くなってしまいベッドに入って寝てしまった。
深く心地の良い眠りだったのか気が付くと夜も十一時を過ぎている。
飛び起きてお蕎麦の準備をする。
一方夫は薪ストーブの火をおこすのに苦心している。一度落ちかけると小枝でたきつけないとなかなか火がおきない。
こういう事にかけては私の方が上手なので、薪をくべて火がカンカンに燃えるように配置する。
お蕎麦を食べて再びストーブの前に落ちついた時には除夜の鐘が鳴り出した。
お寺に向かう人々の声につられて身支度をして家を出ると、門のところから点々と行灯が置いてある。
ろうそくの灯が夜目にも美しく、その上には白いお月様が出ていた。
キリリとした夜気に少しふるえながらも境内へ向かうと、人々が行列をして鐘を打つ順番を待っている。
鐘の横では御住職が紫の着物に鬱金の袈裟をかけてお経を唱えていた。
思わず列に加わり、生まれて初めて除夜の鐘をつかせていただいた。
なんとも言えないすっきりした気分になって家に帰ると年が明けていたのであった。

そうして今は台所で黒豆を煮ているのだけれど、やっぱり鉄たまごが無いせいかどうも時間が経つにつれ色が抜けそうな気配だ。
料理の本には古釘を入れろと書いてあるけれど古釘なんてどこにも転がっていない。
茄子の漬物にも入れるらしいが、黒い色の食べ物が変色するのを防ぐには鉄分が必要だと言う事か。
しばらくウロウロしていたら、薪をしばっていた針金を見つけた。少しサビている。
汚れを落としてくるりとひねってお鍋に放り込んでみた。
上手にまっ黒な黒豆が仕上がるかは明日の朝にならないとわからない。

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食べ物エッセイ『くいいじ』<文藝春秋>より

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