誕生日(食べ物エッセイ『くいいじ』より) | MOYOCO ANNO

誕生日(食べ物エッセイ『くいいじ』より)

何回か前に空豆のさやは食べられないものだろうか、と書いたところ担当の青年Sが
「食べました」
と、いきなりひっくり返す様な申告をして来た。
本当に朝とれたばかりの様な新鮮な空豆をさやごと焼いて開いた内側の、あの綿みたいなモフモフした白い部分をスプーンですくって食べたそうだ。
日本料理のお店で食べたと言うから、知らないだけでもしかして昔から食べている物なのかも知れない。
でも担当も私も初めて聞いたし、私に到っては未だ食べてもいない。
やってみると案外美味しいのかも知れない。
味の感想を聞くのを忘れてしまった。

すっかり春らしくなって暖かい日が続くので、うぐいすの声に誘われる様にして散歩に出た。
鎌倉に越してそろそろ一年になるけれど、仕事で東京に通ったりする日も多いし、鎌倉に居たら居たで家で仕事をしているのが殆どなので、それ程街を知らない。
最近になって駅前の鳩サブレーのビルの上にある「和風茶寮扉」に初めて入って「とろろそうめん」とかオリジナルのオムレツに夢中になったくらいの素人である。
今日もお昼は「扉」にしようと思い、フラフラと春の花が咲く道を歩いて駅前へ向かった。
鎌倉の良いところは自然が沢山残っている事と、比較的どのお家も庭木を大事に考えている事。だから家並の間にも緑が溢れていて歩くのも楽しい。
こぶしが大きな花弁を空に向けて開き、黄色いれんぎょう、雪柳の白い弧を描く枝、日向みずきに三叉、白い星の様に道端に咲く花にら、そして、そこここに小さく咲いている菫。
どれも見ているだけで幸せな気持ちになって来る。
新しく建てている近所の家は、建具も皆古民家の物を使った大正風のコンクリート建築で、玄関のアプローチや庭の端に植えられた柳の木、道から見える凝った作りの古いガラス窓などどれをとっても素晴らしい。
新築でもここまでやれば昔の日本の雰囲気が出せるのだと感心してしまう。
もっと家の中が見たくて仕方ない。
引っ越して来たらすぐにでも呼び鈴を押して「お宅拝見」してしまいそうな自分が怖い。
まだ見ぬ住民の方と昔の日本建築について語り合いたい…などと夢想する。
ウチの小窓も飾りガラスなんですよ、いや!! あなたもですか~。
いいですよね…昔の建物!!
なんて仲良くなれたら嬉しいな、とニヤニヤして駅前に着いたら目あての「扉」は定休日であった。シャッターが閉まっている。
お寺の鐘の中に頭を入れてゴーンと鳴らされたかのようなショックで転びそうになった。
今日のお昼は「とろろそうめん」か「チキンオムライス」と心に決めていたのに…。
がっかりしながら小町通りを歩くが、行くあても無い。
天ぷらの「ひろみ」は三日前に行ったばかり。いつも天ぷらとミニ天丼のセットを御飯抜きで頼み、天丼用の穴子天もつまみにしながらお酒を飲んでいるので顔を覚えられたのか、まだそんなに何度も行っていないのに
「いつもどうもありがとうございます」
と言われてしまったのだ。
ふと「ひろみ」の隣にある「なると屋」に入ってみた。
ラーメン屋さんかと思っていたのだけど、自然食のお店だった。雰囲気のいい店内で有機栽培ビールを飲みながら「三月のごはん」(菜の花のおひたし、蕪のスープ、新キャベツの春巻き、筍ご飯)をいただいた。
すっきりして美味しく無駄なものが無い。
体にも良い食事ですっかり元気になり、また散歩を続行。
骨董品屋さんをのぞいたりしながら線路わきの「ソンベカフェ」で「そばミルクティー」をいただきながらひと休み。
そば茶はほんのりと甘いのが苦手で普段ほとんど飲まない。
でもそれに牛乳を入れるとどうなるのだろう…と好奇心にかられて飲んでみたら、香ばしくて薄甘い、ほっこりしたお茶になっているではないか。
麦こがしみたいな懐かしい味だ。
やはり何事もやってみなくてはわからないものだなぁと電車の向こうの青い空を眺めながらぼんやり思う。
空豆のさやを食べたって別にいいのだ。
食べたきゃとにかく食べてみればいい。
何でも型通りに考える固い頭で生きるのは、人生の楽しみが大幅にカットされてしまう事なのだ。
空豆のさやが本当に美味しいかどうかは別として。
そうして、なんだかもうひと口何かを食べたいような気がして、小町通りのソーセージ屋さんで焼きチョリソーを一本食べて家に帰った。
今日はこれから葉山のフレンチレストランへディナーに行く事になっている。
思うがままに食べたりうかれ歩いたりしている様だが、それは今日が私の誕生日だからである。
これが私の誕生日の過ごし方なのである。

0330_kuiiji

食べ物エッセイ『くいいじ』<文藝春秋>より

その他の「読みもの」