空豆(食べ物エッセイ『くいいじ』より) | MOYOCO ANNO

空豆(食べ物エッセイ『くいいじ』より)

空豆の焼いたのを食べた。
何年か前に炭火焼きのお店で初めて食べて以来、「焼き空豆」ばかり食べる様になったのだけれど、これが美味しい。
もちろんゆでたのも美味しいのだけれど、さやごと焼いたのは豆の表皮がやわらかく、そのまま食べられるのが嬉しい。
家だとどうしてもゆでる事になってしまうので、外のお店で見つけると必ずと言っていい程頼んでしまう焼き空豆。
さやは少し焦げて黒くなっていて、パカッと開くと、中にはフカフカの布団にくるまれて蒸し上がったお豆が仲良く並んでいる。
見るだけで楽しくなるような光景だ。
サウナから出て来たようなホカホカのやつに塩を付けて口に入れると、何とも言えない幸せな気持ちになる。
しかし、そんな大好きな空豆を食べる度に思う事がひとつ有る。
あの巨大なさやはどうにかできないだろうか。
絶対に食べられないのだろうか。
ひょっとして細長く切って油で炒めたりしたら、ほろ苦いひとつの酒肴になったりはしないのか?
そう思いながらも、あの内側のフカフカしたところがどうにも食用じゃない様な気がして実行できないでいる。
世の中には
「食べるべきところでは無い」
と思っているから食べない事になっているけど実は食べたら案外美味しかった、と言うものが結構有るのではないかと思う。
かと言って空豆のさやはきっと食べられないと思うけど。あの質量の大きさについそんな気持ちになってしまうのだ。
豆部分の四倍くらいはさや部分なので生ゴミとしてもかなり巨大だし、捨てると生ゴミ入れがそれだけで満杯になってしまうのもいただけない。
可食部分が全体の質量に比して少い、と言うところが空豆のチャームポイントにもなっているのだろうか。

果物のざくろにも同じ事を感じる。
ざくろは小さなルビーの様に美しい粒がぎっしり表皮の中に詰まっているのだけれど、表皮はかなり厚みが有るし、その粒をボリボリ全部食べられる訳じゃなく、粒の核である種の周りにうすく張りついている実の部分を口の中で味わったら、種を出さなければならない。
食べられる量が本当に少いのよ!! あんたって子は!
そううなだれながらも宝石を食べている様な気持ちになれるので、店頭に並ぶとつい手に取ってしまう。
しかしこうして比べてみると空豆の方がまだ食べられる量、と言うか満足度においてざくろよりは上かもしれない。
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子供の頃、藤棚が幼稚園の前に有った。
入園して間も無い五月には紫の藤の花が沢山咲いて、いつも首が痛くなる迄上を向いてじっと見ていたのを思い出す。
私は藤の花がそのままぶどうになるのだと信じて居た。
紫色の花が房の先端に行くにつれ少くなって行く形といい、花の色といい、この後に実がなるとしたら、それはもう、ぶどうになるとしか考えられなかったのである。
それはそれは収穫の日を楽しみに毎日幼稚園へ通った。
秋になったら藤棚によじ登って、もぎたてのぶどうを食べようと考えていたので、運動神経の良い子達が藤棚にスイスイ登って行くのを見て心底怯えたりしていた。
のろまで運動神経が鈍い自分はぶどう争奪戦に絶対勝てない。
そこで、この藤棚にぶどうがなると言う事は絶対に秘密にしようと心に決め、仲の良いお友達にも教えないでこらえて居た。
どんだけぶどう食べたいんだよ!! と思うが、全くその時の私は食べ物の事だけに真剣そのものであった。

しかし花が落ちしばらくたったある日、ふと藤棚を観察しに行ってみると…なんとそこには大量の空豆がぶらさがっているでは無いか!!
その時の私の混乱とショックは大きく、今思い返してみても馬鹿なんじゃないかと思うくらい本当にうろたえた。
ぶどうが実るはずの場所になぜ空豆が!!
しかも私は既にその当時から空豆が大好きだったので、「ぶどうでは無い」と言う落胆と「空豆が食べられる!!」と言う喜びが一緒になってしまい、その複雑な感情を受け止めきれずに泣いてしまった。
本当に子供時代の自分の間抜けぶりにはいつも脱力するが、もちろん藤棚に実っていたのも空豆であるはずは無い。
藤の花の実なのである。
その事を理解するのにもこれまた時間がかかってしまい、結構後まで空豆だと思っていた。取りたいけれど上の方なのでもちろん手が届かない。
晩のおかずの空豆は父のビールのつまみなので、子供はそんなに幾つも食べさせてもらえず、もっと食べたいなぁと思う時、いつも違うとわかっていながらあの藤棚の空豆を思い浮かべた。

大人になった今は、たとえさやの方が大きくとも好きなだけ空豆が食べられて幸せである。
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食べ物エッセイ『くいいじ』<文藝春秋>より

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