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遠くバングラデシュの地で、オチビサンバッグができるまで

オチビサンバッグはマザーハウスさんの他のバッグと同様、素材の調達から生産まですべての工程をバングラデシュでおこなっています。けれどバングラデシュという名前は知っていても、実際にどんな国かまで知っている人は少ないはず。オチビサンバッグはどんな環境から生まれたのか、聞いてみました。



頭の中のイメージが形になるまで

オチビサンがバッグを下げている絵を見た瞬間にイメージが浮かび、「これならできる!」と確信したという山口さん。デザインをもとにサンプルを作る場合、通常はまず型紙をおこすところから始めますが、今回は最初から革を使い、山口さん自ら1回目の試作品を作ったそうです。

「作っている間も迷いはなくて、はじめから完成品にかなり近いものができあがりました。それを見たサンプルマスター(試作品の制作を担当する職人さんのこと)もすぐに理解してくれて、オチビサンバッグはあっという間に完成しました。あまりの早さにみんなびっくりしていたんだけれど、私にはそれくらい、“オチビが求める形”がはっきりとイメージできていたんです」


実際の試作品(安野モヨコ着用@鎌倉にて)

バッグを作っているのはどんなところ?

マザーハウスさんの工場があるのは、バングラデシュの首都ダッカから車で2時間ほどの場所。山口さんいわく「池で水遊びをする人がいたり、子どもがコマを回して遊んでいたりする田舎町」なのだそうです。
「でも最近は、工場ができたことで少しずつ、おせんべいを売る屋台ができたり、昼間の限られた時間には、豆を売る人がやってきたりするようになりました。自然が豊かなのはもちろん、そんなところも、オチビが好きそう!」


Takahiro Igarashi (520) 

工場では約150人の生産スタッフが働いています。日本人スタッフはその時々でいたりいなかったり。山口さんは現在、一年の半分ほどをこの工場で過ごしています。
「私は常にサンプルルームにこもってモノづくりをしていますが、革を漉く時は漉き機の担当者に作業をお願いしたり、裏地を取りにいく時は倉庫を管理するスタッフと言葉を交わしたり、一日の作業の中でたくさんのコミュニケーションを取っています。そういう時に、ひとつのものを作るのにもたくさんの人のサポートを受けていると感じますね。モノづくりでは、関わる人が多くなればなるほど、あったかいものができると思っています」


バングラデシュとのあいだに生まれた絆

アジアで最も貧しい国と言われるバングラデシュと山口さんとの関係は、22歳の時から、かれこれ10年以上になります。先進国にすむ日本人にとっては、途上国という言葉が“手を差し伸べる相手”という印象を抱かせるかもしれません。ですが山口さんは、バングラデシュの人々を“先生”と呼びます。
「私がバングラデシュから教わったことは計り知れなくて、今でも工場のスタッフと話すたびに学ぶこと、尊敬するところがたくさんあると感じます。これまで山ほどの違いに遭遇したけれど、その先に人間として同じ部分を見つけられたから、今もこうして一緒に夢を追いかけていられるんですよね。それは単純に「風が気持ちいいね!」とか「花がきれいだね」ということ。あとは一生懸命仕事をして「やったね!」とか「できた!」って感動した時の気持ちとか。言葉や表現の仕方は違っても、人としての尊厳や、心の根底にある喜びって同じなんだなと思います」


Takahiro Igarashi (520) 

お散歩バッグ(キャメル) お散歩バッグ(ブラウン)

8月以降のお届けになります。

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