葉山牛(食べ物エッセイ『くいいじ』より)

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くいいじ第10回「葉山牛」

趣味と言う程のものでは無いけれど割とよく着物を着る。

高いのはよそ行きの大島が一着くらいで、後は殆ど古着だ。

昔の着物の柄ゆきや色味が好きなのでアンティーク、と迄は行かないけれど昭和初期の物や大正時代の物を少しずつ集めていたら、いつの間にやら結構な数が集まってしまった。

古くて貴重な着物は大切にしまっておいた方が良いのだろうが、私が持っているのは「昔の普段着」程度の物が多いのでどんどん着る事にしている。

とは言ってもここ何ヶ月かは何かと用事に追われたりしてめっきり着る機会が減っていた。

久々に着物でも着よう、と思い立ったのは夜に気軽な会食が有る日の午前中だった。

お店には六時の予約を入れている。

東京から友人達が来るのは五時でその三十分前には編集者が原稿を取りに来る約束だ。

普通に考えれば仕事を、まず仕事を片付けるべきである。

一色のイラストが何点か、とは言え絵を描くのだから着物を着てからではちょっとくたびれてしまう。

「四時までに仕事を終わらせて、三十分で着物に着替える。四時半には余裕の笑顔で編集者に原稿を渡しているところへ友人達が到着、にこやかにレストランへと向かう」

と言う様な計画を頭に思い描いたが、今までにも何度となくこうした計画が失敗に終わっている事実も無視できない。

ギリギリで着物を着るのはさすがに難しい。

それでは最初に着物を着てしまってはどうか。その後、仕事をすれば案外はかどるのではないか。

私は朝のそうじを終えると心を決め、座敷に畳紙を拡げ足袋を穿いた。

長時間着ると着崩れるのは、いつもどこか適当に着ているからなのだ。

今日はおさらいの意味も含めて、いつになくきっちり着てみよう、そう思った。

下着を付ける時から自然と真剣になる。

腰のくぼみにもガーゼの補整をピタリと当て、襦袢も丁寧に着た。

伊達締めの折れ目すら全てきちんと納まるように正確に結び、それはもう今までの自己記録の中では最高の出来映えの着付けが完成した。

細いところも綺麗に納めて行けば自分でもこんな風に着れるのか…と感心すると同時に、いかに普段適当にやっていたのかが浮き彫りになった。

余りにきちんと着れた私は七五三の時の女の子の様になってしまった。

「これで少しだけ歩き廻りたい…」

一刻も早く原稿をやらなきゃならないと言うのに舌打ちする程の馬鹿である。

お昼ご飯を食べる、と言う自分内の言い訳を胸にいそいそと出掛けてなぜかトンカツを食べ、帰って来たのは二時であった。

目を疑ったけれど、一応下絵は出来ているので集中して仕上げればちゃんと終わる。

満腹で少し苦しいのも忘れて夢中で仕事を進めたところ、なんとか(編集者と友人達を少し待たせてしまったけれど)終わらせる事が出来た。

そのまま転がる様にしてレストランへ到着。

少しの誤差はあるものの自分の描いた夢にわりと近い展開だ。嬉しい!!

…しかし夢は束の間の幻であった。

コースの料理、一皿目が運ばれて来た時点で既に兆候は現れていた。

猛烈にお腹が苦しいのである。

帯が苦しい、どころでは無い。

朝からかっちりと着付けられた着物、幾重にも重ねられた紐と帯。

お腹の血液はアキラカに循環していない。

うっ血して呼吸すら…いやじっと座っている事すらもう一秒だって我慢できない程に苦しい。

ものすごい勢いで帯をほどいて全裸になりたい…変態と呼ばれてもいい…!!

そんな思いが巡るのと同時に次々と美味しそうなお料理が運ばれて来る。

そうして、そこ迄苦しいって言うのに本当に舌打ちして頭を小突きたい程馬鹿なのだが、二皿ほど頑張って食べていたのである。

顔を真っ青にして。

だって美味しいんだもの…。

だが、言葉を発しない私の異変に気付いた友人に言われて、さすがに帯をゆるめる事にした。そっと控えの間を開けてもらって帯をほどいたのはいいが、下着からガッチリ体に巻きつけてある為、それぐらいでは全く楽にならない。

文字通り裸にでもならなくては解消されないのである。

それでも残りの料理食べたさに二回程席を立って帯を直し続けたが、メインの葉山牛の前についに力尽きてしまい、タクシーで一人先に戻らせてもらったのだった。

いかに喰い意地が張っていようとここまで馬鹿だと思わなかった。

具合が悪くなって帰る時に

「葉山牛が残念なんです」

とお店の人に言い残していた事は、後で皆の笑い種になった。

着物など着て気取っていただけに尚更である。

・食べ物エッセイ『くいいじ』<文藝春秋>より
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